夢の話

自分は相変わらず毎日のよう夢を見ては、それを一日中覚えていたりする。

 

今日見た夢は、車を乗り換える夢だった。

 

今、日産ルークスという軽自動車に乗っているが、いつしか普通車に乗り換えたいと思っている。

 

昨日も夜寝る前に、プリウス欲しいなぁなんて思ってカーセンサーを見たりしていたが、それが影響したのか、車を買う夢を見たのだ。

 

以下、内容。

 

ルークスを業者に引き取らせ、スバル・レガシィB4(BL5型後期の2.0RスペックB?)を買って納車された。

 

確かにBLレガシィは高校生の頃欲しくて憧れていた。それに後期のスペックBとなれば標準グレードと顔つきが異なり、かっこいいと思っていた。

 

それを何かの拍子で買ってしまい、ルークスはそのまま手放してしまったようだ。

 

しかし、なぜかその買ったレガシィMT車で、かなり運転が面倒だと思い、ドライブに行こうかと思ったが躊躇いを感じてしまう。

それに、通勤に使うにしても、経路に急な坂道があるのでかなり不安もある。

なぜわざわざMT車が好きなわけでもないのにそれを選んだのは謎だが、苦手を克服するにはいいかと自分を納得させた。

 

そこでふと思い出したのは、ETCやオーディオなど、ルークスから取ってくればよかったのに、それごと業者に引き渡したせいで、また新たに買わなければならないことに気づき、後悔した。

 

でも、今まで乗ってた軽自動車は卒業し、ついに憧れだったレガシィに乗れる!

さあMT車レガシィでドライブに行こう!

 

 

 

というところで記憶は途絶えた。

 

そもそもルークスを降りるにしても、下取りに出したり、売却したりなど、業者に引き渡すつもりはない。

このルークスは前のオーナーとの思い出が詰まった大切な車なので、絶対に他人に譲渡、売買する気にならない。

もし手放すなら、廃車にするだろう。

 

そして、今ならレガシィではなく、プリウスが欲しいので絶対にそっちを買うはずだし、MT車なんて絶対買わないだろう。

 

自分の意識が夢に反映されることはよくあるが、その真意までははっきりと映し出されないので、夢というのは面白い。

 

今回はなんとなくブログに書いたが、特に夢日記としてこのブログを書いているわけでもないので、継続的にこのような記事を書くつもりはない。

ただ、なんとなく人に共有してみたい夢も、たまに見るものだ。

満たされない欲求

SNSを見るのをやめた。

 

TwitterInstagramのアプリをiPhoneからアンインストールし、MacBookGoogle ChromeにブックマークしているTwitterのページでも、アカウントからログアウトした。こうしてSNSにアクセスすること自体もやめたため、すなわち自ら発信することもやめたことになる。先週の金曜日あたりから完全に自分のSNSの更新は途絶えた。

 

LINEやYouTubeは相変わらず見ているし、TikTokもインストールされているが大して見ているわけでもない。LINEはもはや仕事からプライベートまで連絡を取るツールとしてメールと打って代わり必須のものとなってしまっているし、YouTubeTikTokは身近な交流関係に関わってくるほどのものではない、ほとんど匿名の人間として見ているだけで発信はほとんどしていないものである。

 

思い返すと、暇さえあればいつも無意識のうちにページを開いていた。

朝起きて布団に入ったままぼやけた視界の中でも、たばこを吸いながらでも、電車やバスでの移動中でも、アルバイトの休憩中でも、酒を飲みながらでも、何をしながらでもいつもiPhoneを片手にタイムラインに流れるツイートや友人たちの更新するストーリーズをひたすら見ていた。

 

それと同じくらい、なんてことないことを呟いたり、ふと思ったことを写真に撮ってアップしたり、フォロワーも自分と同じように見ているだろうタイムラインやストーリーズに自分を発信していた。

 

SNSを更新するという行動の動機には、承認欲求が大きいファクターとなっていると思う。誰かに見てほしい、聞いてほしい、自分の中で消化しきれないものを人に触れてもらい、心のもやもやをうまく誤魔化せる便利なツールとしているか、あるいは自分が体験しているもの、たとえば恋人や友達と一緒に過ごしているだとか、美味しいものを食べたとか、他人が羨むだろうと思って見てもらう、そんな仮想のステージとしているか。

 

かくいう自分も、別に人が羨むほどの生活はしていないが、心の中の声を発信する場として利用していた。

それをふとやめようと思ったのは、人の生活を見て自分と比べてしまうほど心が疲弊しきってしまったからだ。

 

長引くコロナ禍で収入が激減し、派遣のアルバイトまでしなくてはならなくなったこの3月は、ちょうど自分を含め大学4年生は最後の春休みで、みんな友達と遊びに出かけたり、旅行へ行ったりしている様子を次々にアップしていた。それに対して自分は朝早く起きては派遣先の倉庫へ向かい、接したくもない人間たちと仕事をしたり、休みの日でも誰とも遊ぶことなく日が暮れるのを待ったりと、対照的な春休みを過ごしている。

そんな気分の沈みがちな中で、依存性と言わんばかりに画面に食いついてしまう自分にも嫌気がさした。

 

そこで新たな時間の過ごし方として、前回の記事でも書いたように読書を始めた。

本を買い、読む。終わったら次の本を買い、また読む。それを繰り返していると、他人の様子が自分の心情に干渉することもない、本の中の世界にだけ没頭できる。デジタル依存の社会だからこそ、いかにもアナログ的な読書という行為が崇められがちな時世であるから高尚な人物になった気さえもする。

 

先日、大学の卒業式があった。式典そのものには参加しなかったが、卒業証書だけは受け取りたかったので、久しぶりにキャンパスへ赴いた。電車での移動には時間を持て余してしまったが、そこも持ってきた小説の文庫本を、乗り物酔いしないかと恐れつつも読むことで解決した。

2年ばかりコロナの流行によってオンライン授業が主流となり、ほとんど会うことがなかった友人と最後の再会をして、何枚か写真を撮った。おそらくみんなInstagramのストーリーズやポストに投稿するのだろう。

すでにその日までにSNSから遠ざかっていたが、自分も学生生活の最後の節目として、一枚くらいInstagramに投稿しようと思ってついアプリをインストールし、ログインしてしまった。

 

トップには、高校の同級生の、ちょうど同じ日に大学の卒業式を迎えたのであろう、自身とその彼女のツーショットの投稿がでかでかと表示されていた。自分にはない、幸せの形を見せつけられた気がした。また、自分と比べてしまった。少し気分が落ち込んでしまった。そして、軽い気持ちでSNSに再びログインしてしまったという自責の念。

そんなもやもやを抱きつつ、またアプリを消した。

 

もう10年前近くになるだろうか。FacebookTwitterが流行し始め、SNSの問題をテレビの報道番組で扱っていたのだろう。それを見ていた両親はこう言葉にした。

SNSなんて百害あって一利なしだな」

そのときの自分は、心の中で反発した。まだ中学2年生くらいだったが、ちょうどその頃にTwitterのアカウントを開設したばかりだった。友達とコミュニケーションを取れるこんな便利なツールを、使ったこともないくせにテレビの情報だけで毒薬のように遇らう、そんな姿勢に苛立ちを感じていた。

 

それから高校生になって、Twitter上で友人も作り、交友関係も今まで考えていなかったほど広くなったが、典型的なSNS疲れに陥った今の自分にとってはその言葉に肯くことも躊躇わない。

 

SNSを絶ってまだ1週間も経っていないが、そこでしかお互いの近況を知ることがない友人やフォロワーたちは、何日かすれば自分の更新がとっくの前に途絶えていることに気づくだろう。

大概の人はそんなこと気にもかけなければ、気づくこともない。しかし、ある程度の人は、毎日のようにSNSに何かしらのアクションをしていた自分が急にいなくなったことに気づくかもしれない。

 

死んだのか?とか病んでるのか?とか、思うのかもしれない。

 

そこで気づいた。自分は、自分がいなくなったことに気づいてほしいという承認欲求を満たすためにSNSをやめているのではないか。

 

今までは発信をし続けることで消化していた欲求を、今度は全く何も発信せず行方をくらませることでその欲求を満たそうとしているだけではないのか。

 

どこまでも満たされない欲求は、形を変えながら消える方法を探し続けさせている。

 

読んだ本でも紹介するがいや

この春、大学を卒業するのだが、自分は全くと言っていいほど進んで本を読んでこなかった。

文学部に所属している以上、レポートを書いたり、発表をするにあたって書籍や記事などを参考文献として使用したりすることはあったが、それ以外で活字に触れる機会はないに等しい。

 

よくそんなので文学部を卒業できたものだとかえって感心させられるが、ここ数日は打って変わって本にのめりこむようになった。

 

なぜかといえば、あまりにも暇だからである。

 

数日前までは、あまりの金欠に耐えかねて派遣のバイトをしていたが、現場の人間の出来の悪さに嫌気がさして行くのをやめた。

まあ、来週からは本業である飲食の仕事も再開するので、ちょうど良い機会だっただろう。

 

そんな感じで1週間ほどほとんど予定のない期間が生まれたので、いい暇つぶしを探すことになった。

TwitterInstagramをずっと見つめるのにも飽きてくるし、なにより自分より充実した春休みを過ごしている同級生たちの投稿を見ていると、これもまた嫌気が差してくる。

他の人たちの世界に入らないで、自分の中だけで時間を潰す方法といえば、やはり読書に尽きるのかもしれない。

 

ということで、今回はこの数日で読んだ本を紹介していこうと思うが、まず最初に読書を習慣づけようかと思うきっかけとなった一冊から紹介しよう。

 

1.清志まれ『幸せのままで、死んでくれ』2022年、文藝春秋

 

 

 

つい最近発売となったばかりの単行本だ。

「清志まれ」という著者名は聞き馴染みのないものだが、その正体はあの「いきものがかり」のメンバーである水野良樹である。

いきものがかり以外でもHIROBAというプロジェクトを行い活動している水野が、今回新たなペンネームで小説を書き下ろしたのである。

 

「国民的キャスターとして成功を収めた主人公と、売れないミュージシャン崩れの親友。時を経て、二人の人生が再び交錯するとき、主人公には死が迫っていた。「俺はもう、幸せなままで、死ぬよ」彼は、誰にも言えない、たった一つの秘密を親友に託そうとする。」(帯より抜粋)

 

内容としては上にも書いてある通り、主人公はテレビ局のアナウンサーとして国民的人気を獲得し、地位と名誉を得た表舞台に映る「自分」を「幸せ」とする一方で、決して表には出せない「自分」もあることがその幸せを崩してしまう葛藤に悩みながら病に倒れ、死んでいくというものだ。

 

著者である清志まれ、もとい水野良樹は言わずと知れた国民的バンド「いきものがかり」として数々のヒット曲を生み出し、まさに成功を収めた。彼もまた、こうした表舞台に映る「いきものがかりの水野」としての自分と、プライベートな面での自分とのギャップに悩まされることがあったのかもしれない。

本書を読んでいく中で、彼自身が活動していく中で得た知識や経験などが詰まっているようにも感じた。

ストーリーこそフィクションではあるが、芸能界の第一線として活躍してきた彼だから描けられる世界であると思う。

 

はじめこそ、ミュージシャンが書いた小説など大したものではないだろうとたかを括っていたが、読み始めると一気に吸い込まれていった。

複雑な登場人物と時間経過に錯乱してしまうところもあるが、内容的には分かりやすく、作詞などで培った表現力を活かしていると考えられる。

 

などと偉そうに語ってみたが、小説など少ししかちゃんと読んだことがないので、自分にはまともに評論できる力などない。とりあえず良い作品だなと自分の中では思った。

 

それに加え、小説と同時に同タイトルで音楽もリリースされており、こちらもアレンジ面でいきものがかりではないダークな雰囲気を持つ楽曲に仕上がっており、ぜひ一緒に聴いておきたいものだ。

 

youtu.be

 

 

 

2.みの『戦いの音楽史 -逆境を越え世界を制した20世紀ポップスの物語-』2021年、KADOKAWA

 

 

こちらは昨年の5月に発売となっており、私自身も発売からすぐに注文し手元に届いていたが、なぜかずっと放置されたままであった。

それが読書に目覚めたので10ヶ月の時を経てついに表紙を開くこととなった。

 

著者のみのは、YouTubeにて音楽の解説動画を上げる「みのミュージック」を運営するYouTuberである。

www.youtube.com

 

チャンネル登録者は2022年3月現在で35万人を超え、幅広い年代層の音楽ファンに支持を得ている。視聴者の一人に、あのサザンオールスターズ桑田佳祐もおり、彼自身もラジオ番組の中でたびたびみのの動画について言及している。

みのは元々はチャンネル登録者100万人を獲得していたYouTuberグループ「カリスマブラザーズ」の元メンバーで、2019年にグループ解散後、「みのミュージック」を立ち上げた。

以前から音楽の知識に富み、自ら作曲した楽曲なども発表し、ミュージシャンとしても注目を集めていた。

動画内でもロック史の解説や、有名アーティストの解説などを行なっているが、本書では20世紀の「ポップス」の歴史の概要を年代順に追っていくものだ。

 

黒人のブルースから始まり、フォーク、カントリー、ロック、ジャズなど海外の歴史と、それを追うように日本での流行歌、歌謡曲、J-POPの歴史をまとめた一冊となっている。

 

内容自体はかなり浅いもので、音楽に詳しくない人でも入りやすいものに仕上がっている。

YouTubeではかなりコアでマニアックなところも突いてくるので、この本をきっかけに音楽の世界へ(自分のチャンネルへ)引き込もうという意図もあるのかもしれない。

 

ただ、この本の評価は2つに分かれるようで、元からの視聴者からすれば内容の浅さに不満を持つ一方で、音楽に疎い人からはざっくり音楽史を知ることができていいという声もある。

 

私自身は、次の書籍においてもう少しディープなところを探って行ったり、日本の音楽史にフォーカスしたりしたものに期待したい。

 

余談だが、私は大学の授業で「自分が編集者となり、本を作るなら、どの著者にどんな本を書いてもらうか」という課題において、みのに日本のJ-POPをまとめた書籍を書かせたいと発表したところ、それなりに評価を得た。どうでもいい。

 

 

 

3.NATSUMI『大正浪漫 -YOASOBI『大正浪漫』原作小説-』2021年、双葉社

 

最後に紹介するのはこの一冊。

その前に、「YOASOBI」について軽く触れておきたい。

 

YOASOBIのWikipediaを見てみると、

YOASOBI(ヨアソビ)は、ボーカロイドプロデューサーAyaseシンガーソングライターのikura(幾田りら)による2人組の音楽ユニットであるソニーミュージックが運営する小説&イラスト投稿サイト「monogatary.com」に投稿された小説を音楽にするプロジェクトから誕生した。以降、同サイトに限らず様々な小説、タイアップで新たに書き下ろされた小説などから楽曲を発表している。」

とあり、小説をテーマに楽曲を制作していることがユニットのテーマである。

2020年に大ヒットした「夜に駆ける」も、星野舞夜の『タナトスの誘惑』という小説を原作としたものだ。

 

今回紹介する本も、YOASOBIが昨年9月にリリースした「大正浪漫」という楽曲の原作になっている。正確には、NATSUMIの『大正ロマンス』が大元で、本書は楽曲リリースを機に大幅な加筆修正を加えたものである。

youtu.be

 

内容は、2023年を生きる中学生の時翔と、大正時代である1923年の少女千代子が、100年の時を超えて文通を繰り返し、恋心が芽生えるも、関東大震災によって二人の手紙は途絶えてしまうというSFチックなものである。

文体もケータイ小説のような会話の多い、非常に読みやすいものとなっている。

 

なぜこれを手に取ったかというと、最近YOASOBIの楽曲を聴くようになり、中でも「大正浪漫」の歌詞の内容にある、時を超えて手紙を送り合う二人と、ある出来事をきっかけに引き裂かれた運命が気になり、是非とも原作を読んでみたいと思っていたところにある。

 

実際に読んでみると、こうした軽い文体の小説はあまり好みでないことから、大したものじゃないと思っていたが、二人の恋心にちょっとしたときめきを感じたり、曲にはなかった展開などが盛り込まれていたりと、新たな側面から作品に向き合えることとなった。

 

こうした楽曲と小説のフュージョンというのは、前述の清志まれの『幸せのままでー』と同様に、目だけではなく、耳でも楽しめるという点で新たな体験となる。

ドラマや映画に主題歌があるように、小説にも同テーマで楽曲があることで二段階で作品に触れるということは、より一層読者(聞き手)に奥深くまで世界観へと導くことができる。

 

以上が最近読んだ本の紹介となるが、こうしてみると音楽と通ずるテーマのものが多いと感じる。これは自分が普段音楽が好きなところから結果的にそうなったのだとも考えられる。

これからも自分の好きなものにつながる本と出会い、愛読書としてきたいと思う。

 

 

iPhone13買ってみた

突然の出来事であった。

 

酔った勢いで、iPhone13を買ってしまった。

 

ちょうど1週間前だったろうか。その日はバイトが終わってクタクタに疲れ切っていた。

 

そしていつものように500缶のハイボール(濃いめ9%)をグビグビ飲み、なーんか散財してーーーーと思ってしまったのだ。

 

たしかに10月分のバイトの給料が振り込まれ、懐がホッカホカだったので、久しぶりに財布の紐もゆるゆるになっていた。

 

こういう購買欲が衝動的に現れた時は、なにかガジェット系を買いたくなってしまう。

 

2019年の1月。衝動的にiPadを買った。

去年の今頃。衝動的にamazonポンコツタブレットを買った。

あと今年も衝動的にAirPods Proを買った。

 

ガジェットを買うというのは、自分の生活にダイレクトに影響を与えてくるので、購入した直後のワクワク感がなんとも言い難いほど快感に近いのである。

 

そして、ハイボールをキメてバチバチに酔いが回った俺は、Appleのサイトを開いていたのだ。。。

 

実は以前にも幾度かiPhoneの購入を企んだことがある。

 

今まで使ってたiPhone7も、メルカリで未使用品を4万円で買ったもので、携帯の機種変という概念が自分の中になく、新しいスマホを手に入れたきゃ、SIMフリーの端末を探して自分で買って、SIMカードだけ入れ替えればいいと思っているのだ。

もちろん携帯会社のプランに端末代が組み込まれたものならもっと安く手に入るが、親の契約でやっているため面倒なことがいろいろ多い。

 

そしてiPhone7も2年前に購入したものだから、もうバッテリーは息をしていないし、何より未だにホームボタンのついた旧式の林檎電話を使っているのが段々嫌になってきた。(ちなみにiPhone7のデビューは5年前の2016年だった気がする。)

 

そんなわけでメルカリで未使用品のiPhoneXSとか、Appleのサイトで新品のiPhone12 miniとかを買おうかなぁと常々思っていたところ、ついにコロナも落ち着きを見せ、バイトが通常営業に戻ったおかげで懐が高温サウナ状態になったため、iPhone購入に踏み入ったわけだ。

 

購入したのは、今年9月に発売されたばかりのiPhone13 128GB ミッドナイト。お値段98,800円也。さすがに12回の分割払いにした。

 

次の日には届くっていうのでワクワクして朝を迎えたが、日付が変わって深夜に注文したので、実際に届くのはさらにその次の日だった。ちょっとガッカリしたけど、それでもたった1日で、送料無料で届くのだから素晴らしい。

 

たぶん先週の土曜日だったと思う。ついに念願の新しいiPhoneが手元にやってきた。

 

ホームボタンなんか見る影もなく失われ、画面上部の切り欠きとノッチ。憧れていた新世代のiPhoneである。

 

その前日に仕込んでおいたiPhone13用のiFaceと保護ガラスをガチャコンと合体させ、データを移行した。

 

とても快感である。ああ、憧れのiPhone13。

これだからガジェットの衝動買いはやめられない。そう強く思った。

 

それから何度か出かけて人と会うたびに見せびらかしまくった。

わざわざ「iPhone買い替えたんすよw」とか言って話題にもした。

 

結局思った以上にデカかったのでiFaceは脱ぎ捨てメルカリで売り捌き、代わりにドンキで買った1500円の金色のベゼルがギラギラ輝く超田舎のDQN仕様ド下品ケースを付けたが、見事に手に馴染むようになった。

 

もう何も不満はない。

ただただ満足。

 

実際、ソフト面での大きな変化はそんなにない。しかし、ハード側が5年分の進化であるからかなり別物に感じる。

 

おかげさまでルンルン気分で毎日がエブリデイ!って感じだが、こんな浮かれ気分でいれるのもあと半年くらいだろう。どうせ来年にはまた新しいiPhoneが登場するのだから。

 

刹那の快楽であっても、どうしても新しいものを手に入れた瞬間のこの昂りは抑えきれない。

 

そんなわけで、別にiPhone13のレビューをするわけでもなく、ただただ嬉しいという気持ちだけを書き連ねた。以上。

新しい発見

ぼくちんは、ラーメンが食べたくなった時、たいてい決まった場所にしか足を運ばない。

 

マジで歩いて数分とかのところにある家系ラーメンのチェーン店とか、家からバイクで10分くらいのところにある家系ラーメンの店とか、隣の駅の近くにある豚骨スープが自慢のラーメン屋とか、渋谷なら有名な家系ラーメンの店とか、なんとか油組とかいうまぜそばの店とか、とにかく一度入ってみてうめぇと思ったところにしか行かない。

 

今日もラーメンを貪りに街へ友人と繰り出したわけだが、友人が紹介してくれたのは、自分の住む市内にあるものの隣の駅にあるラーメン屋。名前も聞いたことなかった。というか漢字が難しくて読めない。そしてもう店の名前は覚えていない。

 

初めて入る店なので、一体どんなラーメンを出しているのか非常に気になるが、店内に入った瞬間、魚介系スープの匂いが漂っていた。

 

友人は、高校時代通っていたと言い、ラーメンには珍しいかき揚げの乗ったラーメンを勧めてくれたが、なんとなくかき揚げの口ではなかったので、その店で一番オーソドックスそうな(すなわち食券機の一番左上にあるやつ)メニューを頼むことにした。

 

平日の真昼間で、まさに駅の目の前に位置する店であったが、すぐ座れるくらいには空いていた。

 

厨房を見渡して、洗浄機から出したレンゲの先っちょがやたら茶色いのを見て、きったねぇ〜〜とか思いつつ待っていると、お待ちかねのラーメンが目の前に置かれた。

 

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すまない。実は食べる前に写真を撮り忘れてしまったのだ。

 

読者の諸君は、自分のイマジネーションを駆使して、完成形を思い浮かべながらこの記事を読んでほしい。

 

と、まぁ、ご覧の通り透き通ったスープと細めの麺の上には、大量の削り節が鎮座している。

 

アゴ出汁ベースの魚介系だったと思う。

飲んだ瞬間に、お口の中は水族館。

 

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スープの中には柚子の皮なんかが入っており、魚介のえぐみをかき消してくれる。

その辺の煮干しラーメンなんかと似た味のようで、後味は大変すっきりしている。

 

どちらかというと、あっさり目のスープだった。

 

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そして麺をリフトアップする。

 

読者の諸君は、己のイマジネーションをフル活用して麺の写像を具現化してほしい。

 

柔らかめの茹で加減で、小麦の味がはっきり伝わってくる。

これもあっさりめのスープの恩恵を受けているからだろう。

 

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そしてチャーシュー。

皆様の想像力のおかげで目の前にはくっきりと、硬くなるまで炙られたチャーシューが見えているだろう。

 

こんなラーメンは今まで出会ったことがなかった。まさに唯一無二かもしれない。いや、私のラーメンに対する世界観があまりに狭すぎるだけなのだろうか。

 

アゴ出汁と鰹出汁を合わせ、あっさりとした味わいの中に、小麦の風味が強く感じられる柔らかめな麺。そして友人のどんぶりに盛られたポケット六法くらいの厚さのかき揚げ。

 

信じられない体験をした。私はこれが、カルチャーショックなのだと痛感させられた。

 

マルチに陥る同級生たち

最近インスタのストーリーを見るたびに、やたらと高そうな焼肉屋で食事をしている様子や、なんかの学生団体が主催してそうなイベントに参加している様子や、株やFXのチャートを写している写真をあげている同級生がいるが、おそらくマルチをやっている奴なのだろうとすぐ疑ってしまう。

 

大学生になって、モバイルプランナー(大手キャリアの代理店と名乗り、携帯を安く機種変できることをストーリーなどSNSを通じて拡散させる)や、情報商材を購入させ株などで儲けられるという話を持ちかける高校時代の友人や大学の友人がそれなりに現れた。

 

そういう輩がいるんだなと思った矢先、4、5人からそのような話を持ちかけられたもんだから、本当にそういうビジネスが蔓延しているのだなと嫌でも実感せざるをえない。

 

ある日、同級生からサシ飲みに誘われ、いざ行ってみるとそういったビジネスの話を持ちかけられたり、高校時代はあまり絡みのなかった同級生からインスタを急にフォローされて突然DMが送られてきたりと、とにかく詐欺師の卵はマルチの拡散に勤しんでいるようである。お疲れ様と言いたい。

 

とはいえ、そういうマルチにハマると危ないよーという話も囁かれているにも関わらず、なぜ彼らはそういったものに手を出してしまうのだろうか?

 

イメージ的には、マルチにハマった友人や、その組織の「偉い人」からそういう勧誘を受け、甘い言葉で騙されてしまったというものであるが、彼らは意気揚々とビジネス話を持ちかけてくる。

 

なにを信念にそういう活動を行なっているのか分からない。

 

もっと客観的に、自分がそういう「マルチにハマってしまった馬鹿な残念な頭の悪い人間」というのが分からないのだろうか?

 

それとも、本当に金がどんどん入ってきてウハウハだから人に勧めたくて仕方ないのだろうか?

 

一度、そういう情報商材を買った大学の友人から、自分もやらないかと誘われた際に、「お前はどうしてそんな怪しそうな話を平気で俺に勧めてくるのか?」と尋ねたが、「お前のことを思っているから」と曖昧な返答が返ってきたので、本当に頭を抱えた。

 

別に各々騙されてるのか知らないがそういう話に乗っかって、金儲けをしたいと思うのはどうでもいいが、それを知っている人に当たり散らして拡散しようとしていると、あっというまに「あいつは詐欺師だ」とレッテルを貼られて嫌われていく。

 

そのことに気づかないのだろうか?

 

ストーリーで「アウトレットで爆買い」だとか「いい店で食事」だとか、いかにも金持ってて贅沢三昧の生活を送れていますと自己顕示欲を満たすだけの投稿をしているだけでも煙たがられそうなのに、人を巻き込んでいっては一巻の終わりであろう。

 

とはいえ、マルチと分かりきっているような甘い誘いに乗ってしまうような無能でバカで知能に欠陥のある手帳予備軍の白痴はそんなことも分かっていないだろうから、いろんな人から避けられて、バカ同志でイベントでも開いて支那バイキンに罹ってさっさと天寿を全うして墓場で眠ってろと思う。

原付

いやー、すっかり脳死していた。

およそ1週間もブログを更新しないなんて、思ってもなかった。

 

それにしても、急に冷え込んだ気がする。すっかり夏の面影もなくなり、秋越えてもはや冬。体感的には12月といったところ。

 

だんだん鼻詰まりも出てきそうな予感。

なにより、夏の時期でさえすぐ職業柄手が荒れるのに、乾燥する季節になると余計にアカギレとかができて手を濡らすのが苦になる。

 

それに、バイトに行くのに原付に乗っていくわけだが、もうパーカー着ただけでは耐えられない。ついにダウンジャケットを出して着こんで乗り出した。

 

ついこの間まで半袖シャツで夜だろうと平気で乗れたのに、とにかく風が冷たい。

さっさとルークスの名義変更して自分の車にしてあれで通勤したいところだ。

 

とはいえ、結構バイクに乗るのは好きな方だから、コスパ的にもこれからも愛用していくつもりだが、2年半前に中古で買った原付もついに納車から走行距離1万キロを突破した。

 

購入時、オドメーターは7979kmで、4桁しか表示されない(とはいえ100m単位も表示するので実際には5桁?)ので、それが一周してまた7979kmに戻ったわけだ。

 

普段からもちょいちょい乗ることはあるが、5km圏内の移動しかしないので、主に往復24kmもあるバイト先と自宅との移動がほとんどである。

 

今年と去年は武漢肺炎(又の名を中華肺炎、支那肺炎、中国の人工生物兵器、あるいはCOVID-19、新型コロナウイルス)の影響から店が休業している期間が長かったためそこまで乗っていなかったが、今月に入り緊急事態宣言が解除されたため再び乗る距離も増えた。おそらく2週間で200kmほど。

 

2年半で1万キロが原付にして見れば多いのか普通なのかは知らないが、かなりダメージも大きいだろう。

 

もういつだか忘れたが、納車後一度タイヤ交換をしたのだが、先日また前後のタイヤを交換してきた。

 

走行距離の延び方も早いと、オイル交換のペースも早まるので、なかなか金がかかるもんだ。

 

そして、行きつけのバイク屋に、ついに!念願のサイドスタンドを注文してもらうことにした。

 

いつもセンタースタンドをよいしょと上げるのもめんどくさいし、見た目的にもサイドスタンドの方がかっこいいので、とても楽しみだ。

 

実は自分が乗っている原付は、サイドスタンドを装着するのに、カウルの一部を切断しないと干渉するので、自分だけではどうにもできなさそう(というかグラインダーとか道具揃えたり自分でやるのがめんどい)なので、ずっと付けたかったがなかなか重い腰が上がらず、ようやく、といったところだ。

 

タイヤも新品にして、サイドスタンドもつけて、ますます愛着が沸きそうだ。

 

これまではいつ捨てるか分からんと思って自賠責保険は1年ずつしか入ってこなかったが、来年からも多分乗るだろうから、次の更新の時は5年とか思い切って入っちゃおうかなと思っている。